1963-05-07 第43回国会 参議院 運輸委員会 第18号
五月二日午前一時ごろ、付近海域で操業中の日本水産所属壱岐丸百八トンは、北緯三十一度五十五分、東経百二十五度〇一分済州島西帰浦SW百十五海里の地点で、同船のボート三隻、乗組員五十九名を発見した。 第七管区本部は、巡視船「こしき」あて現場に急行するよう指令、巡視船「こしき」は、二日早朝現場着、乗組員全員を救助収容した。
五月二日午前一時ごろ、付近海域で操業中の日本水産所属壱岐丸百八トンは、北緯三十一度五十五分、東経百二十五度〇一分済州島西帰浦SW百十五海里の地点で、同船のボート三隻、乗組員五十九名を発見した。 第七管区本部は、巡視船「こしき」あて現場に急行するよう指令、巡視船「こしき」は、二日早朝現場着、乗組員全員を救助収容した。
日本政府所有の四隻でございますが、当時は国鉄が公社になっておりまして、興安丸と壱岐丸は国鉄の所有船でございます。宇品丸と室津丸、これは国有でございましたが、公社あるいは大倉海運に貸与中の船であったのであります。公社の所有の船につきましては、一たん国のものにする必要があるわけでございます。国の所有にした上で、あとの国有の二隻とともに朝鮮郵船の五隻と交換したわけでございます。
○平出説明員 今御指摘の財産の交換の内容でございますが、国鉄から出ておりますのは興安丸、壱岐丸、宇品丸、その他船舶の備品類でございまして、これが評価額としましては八億八千万円であります。これに該当するものといたしまして志免炭鉱、大船工場、高砂工場、これが合わさって大体同額でございます。志免炭鉱につきましては、このとき計算したものでは三億二千百万円、こういう数字になっております。
私の調べによりますと、昭和二十五年政令第二十五号によって進駐軍から、日本の船の興安丸、壱岐丸、そういうものが朝鮮なり日本に引き渡しされたその代償としてこれが国鉄の方に払い下げられた。その場合に、志免鉱業所そのほか何カ所が一体幾らで国鉄の方に払い下げられたか、その間の事情をお伺いしたい。
尚そのスキャピンに引続きまして、メモランダムとして船を指定して参つたのでございますが、そのうち国有鉄道の所属の船は壱岐丸と興安丸がございます。そこでそのスキャピンを実施いたしますためにポツダム政令を出さなければならない、こういうことで、その譲渡する期日を三月一日というふうに指定をして参つておりますので、三月一日施行公布の予定で、目下そのポツダム勅令を検討立案中でございます。
從いましてこの分で參りまするならば、本年度は必要最少限度の五百萬挺程度は何とか確保できるのではなかろうか、かような非常な希望と意氣込を以て、目下これが調査に當つております、殊に北海道方面の枕木につきましては、壱岐丸その他運輸省鐵道總局の自家用船を北海道へ出航せしめまして、これによつて關西方面の枕木の足らんところへ送り込むというような措置も取りまして、ここのところ非常に順調な状況で推移をいたしております